第1回種穂山・高越山学習会

日時*2010年(平成22年)9月18日(土)、時間*19:00〜21:00 

場所*吉田農園(藍色工房)吉野川市山川町川田

・11月7日(日)、山川町商工会では高越ウォークを企画し、阿波の霊峰・高越山と種穂山にスポットライトを当てようとしている。過去5年間に山川町商工会では「こおつウォーク」と題して山川町内の忌部氏を中心とする史跡を巡るウォーキングツアーを実施し、毎年約500名が参加する実績を挙げていた。なお、標高1133mの高越山は、阿波富士とも称され、阿波忌部族が崇拝する霊山で、山頂に天日鷲命を祭神とする「高越神社」を祀り、山名も「衣笠山」・「木綿山」・「蓋山」・「山」などの多くの別称を持つ。山頂付近の「高越寺」は、真言宗大覚寺派に属し、東の奈良県金峰山に対し、西上山と称され、周辺には多くの行場が点在し阿波国修験道発祥の地(忌部修験道)とされる。『山高越寺私記』によると、天智天皇の時代「小角」によって創始されたと伝わる。延暦年間(782806年)には、空海も当山で修行したとされ、空海修行の岩窟が残る。今、流行の言葉を借りれば、日本を代表するパワースポット的存在であり、雑誌・TVで特集を組めば、恐らく全国から来訪者が殺到するだろう。しかし、これだけの史跡が点在するにも関わらず、本格的な広報・啓発活動はなされていなかった。この高越山の史跡については、「日本の建国と阿波忌部〜麻殖郡の足跡とともに〜」に詳細が写真入りで記してあるので参考にしてもらいたい。

・「倭国創生と阿波忌部」の中で、倭国創生の基点となったのは、種穂山であると述べたが、その種穂山の麓で地域活性化のための学習会が始まった。当日は、地元の名士16名が集まり活発な議論が展開された。種穂山の麓となる川田地区は、阿波藍の発祥地とも考えられる。室町時代の文安2年(1445年)の『兵庫北関入船納帳』には、阿波沿岸各港から畿内へ搬出された物資とその数量が記されている。藍は、土佐泊4石、撫養30石、惣寺院14石、由良23石とあり、合計藍71石が阿波から畿内へと流入し、その藍の年間総量は400石を超すと見られ、阿波以外の染料の運送記録は皆無で、当時阿波が西日本唯一の藍の輸出地であった。その輸出港となる惣寺院は、種穂山の麓、山川町川田市の「福生寺」付近と考えられている。阿波藍は阿波忌部族が栽培する麻を染めるために当地付近より始まったとされるが、現在、山川町で藍を栽培する農家は、この会を主催する吉田農藍園(吉田理)の只一軒である。その吉田理は、種穂忌部神社の氏子となる。有限会社「藍色工房」は、吉田理さんの娘である坂東未来さんが創始した。香川県高松市に本社をもち、農園がふるさととなる旧麻植郡山川町で吉田藍農園として両親が藍を栽培している。その藍は吉野川の伏流水で水をやり無農薬で栽培している。その藍は忌部の里で育てたということで「忌部藍」と名付けられている。その忌部藍で人の心まで健康にする「手づくり石鹸」(藍染め石鹸)を中心とする製品を販売している。ホームページには、最近「種穂忌部神社」のとも紹介された。詳細は、「藍色工房」のホームページを検索いただきたい。なお、藍色工房や社長の坂東未来さんは、全国版で何度もTVで取り上げられ放映されている。